【天気の子】の主人公は罪人であり、新海監督はそれを肯定している。【※ネタバレあり感想 閲覧注意】

ネタバレありの感想になりますので嫌な方は以下を読まないでください。

 

 

人柱を救ってしまったということだけを見ると帆高は罪人でありそれは落下の際彼の手に手錠がはめられていたことからもわかるが、その大きな流れを止めたことを新海誠は肯定している。そして自然に立ち向かい自然を抑圧するのではなく受け入れるべきであると言うことをこの作品にメッセージとして込めている。

と思います。

意味わかんないですよね。冒頭から一つずつ気になったシーンを拾っていきます。

 

①天気の子は一人称作品、君の名は。はW主人公

入り方は君の名は。とはかなり違ったものでした。確かに語りが入る点や最初に映画全体の概要を口にするようなところは似ていましたが、人称が違ったのが大きな違いではないでしょうか。

君の名は。:瀧と三葉による語り、ほぼほぼ三人称
天気の子:帆高のみによって語られるバリバリ一人称

この冒頭から、天気の子は、ほぼW主人公作品である君の名は。とは異なる、帆高が主人公の一人称映画となります。そのため、ヒロインである陽菜の内面が晒されることはありません。

【まとめ】
君の名は。:ほぼW主人公で両方の内面を観客は見られる
天気の子:帆高の一人主人公であるため、ヒロインの内面はわからない

②東京の汚いところを積極的に映し出す

君の名は。では、瀧はお洒落なレストランで働き、都心の高校に通い、放課後はカフェで働く、キラキラとした高校生でした。三葉が住む糸森も、湖や森林等美しい自然が強調されます。常に流され続ける美しい街並みや自然、それに合わせた爽やかな音楽も、かなり君の名は。人気に貢献していた要素であると思います。

しかし天気の子では一転、東京の汚い面ばかりが映し出されます。

空はいつも雨天、漫画喫茶にこもる人々やうるさいバ○ラ求人のトラック、未成年者を狙うスカウトマンなど、君の名は。とはまるで真逆です。君の名は。で登場したお洒落なカッフェなんて出てくるはずもないって感じの展開でしたね。

君の名は。で三葉は憧れていた東京の想像通りの美しさに感動します。美しいビル群を眺め、お洒落なカフェでパンケーキを食べ、東京ライフをこれでもかってくらい満喫します。

天気の子では、とにかく主人公の帆高は「東京こえー」と言うセリフばかり口にします。お金のない彼は漫画喫茶で追い払われたりゴミ捨て場に体を突っ込んだり、ホスト(ボーイだっけ?)でお金を稼ごうとしたりとてんで真逆です、君の名は。と。

【モチーフの違い】
君の名は。
「晴天」「青空」「カフェ」「パンケーキ」「日記」「イタリアンレストラン」
天気の子
「雨天」「曇り空」「カラオケ」「漫画喫茶」「スカウト」「ファーストフード店」「Y○hoo知恵袋」

新海監督が意図したのかはわかりませんが、真逆だと思います。あまりにもはっきりと。

しかし秒速5センチメートル等の他作品を考えると、この鬱屈したような世界観こそ新海誠という気もしなくもないんですよね。君の名は。はかなり爽やかで大衆向けな作風でしたがそれは古参ファンからしたらあれは風雲児というか。異端児というか。毛色が違うみたいなところありますよね。
だから私は、

君の名は。での商業的成功を踏まえつつ、自身の好みをきちんと組み込めた作品が天気の子

なのではないかと思います。

【まとめ】
君の名は。キラキラな東京
天気の子:汚く暗い東京

 

厨二病世界観を自ら認める要素満載

君の名は。での瀧や三葉は学校でそこまで目立たないにしてもお互い美男美女で素敵な二人でした。入れ替わってもこれは嬉しいだろうなあこの顔面偏差値なら…って感じでした。

天気の子では特に主人公である帆高もヒロインである陽菜も美男美女であるという要素はありません。(ただ陽菜の弟である凪くんがモテモテなので、陽菜は美女なのかも)

特に帆高はおそらく、新海監督がわざわざ厨二病を患った少年としてあえて意識的に描かれています。

愛読書はキャッチャー・イン・ザ・ライ
 思春期のこじれた男の子が主人公の小説ですね。村上春樹さん訳のブックカバーが3度も登場していました。
→帆高が本を読むような高校生であること、キャッチャーに共感していることから、帆高がまだ思春期を抜けきっていないことが示されています
・オカルト系の話を聞きに行き「ラノベの設定かと思った」
 瀧くんや三葉はラノベというワードすら知らない気がします。帆高くんはきちんとその道を通ってきた少年であるということが伺えます。
・「たしかに世界を変えた」というセリフ
 
ばりばり厨二っぽいですよね。言い方とかが。それこそこういうラノベありそう。しかもそれを後で大人に馬鹿にされている。あのシーンを組み込んだ理由、「主人公の厨二病感を出すため」以外に思いつく人いますか?

これは勝手なイメージなのですが、

新海監督は自身と似ても似つかなかったリア充主人公瀧から、
自身とより似ている厨二系主人公帆高に移行したのでは?

 

お色気シーンを取ってみても、

君の名は。:三葉のおっぱいを揉む瀧
天気の子:「今胸見てたでしょ?」と指摘される帆高(陰キャっぽい)

 

④あれだけ天気の素晴らしさを持ち上げてからの「天気なんか狂ってていい、陽菜が大事だ」(うろ覚え)

はい。ここは素直に感動しました。すでに映像の綺麗さで泣いてました。はい。次行きます。

⑤「歴史の大きな流れ」を止めた瀧と帆高の違い

瀧と帆高のふたりは、共に「歴史の大きな流れ」を止めています。

君の名は。の瀧
糸守への彗星落下を止めるため、入れ替わり能力の発動を終わらせる(無理やり終わらされた・必要なくなった)
天気の子の帆高
代々東京の異常気象を天気の子(巫女?)が人柱(=生贄)となって止めてきた。しかし帆高は「天気なんか狂ってもいい」と人柱になるはずの陽菜を助けてしまう。

・入れ替わり能力
・雨を晴れにする能力
「異能」を受け継いだ少年少女という点において二つの作品は同じなんです。

しかし異なるのはその歴史を変えたことが、良いことなのか悪いことなのか。

結論から言うと、

君の名は。→良いことをした○
天気の子 →悪いことをした×

という描かれ方がされていると思います。それは作中の二人の台詞からもわかります。(便宜上○×をつけています)

君の名は。
三葉の中に入った瀧
「宮水家のこの入れ替わり能力はこの日のためにあったのかもしれない」といったニュアンス(曖昧で申し訳ない)の台詞。
つまり糸守の街に彗星が落下し、多くの人が亡くなることを瀧たちは阻止しました。彼らは任務を成し遂げ、ある意味で世界を救いました。
天気の子×
誰か(曖昧ですみません)
「巫女が人柱になることで異常気象を沈めてきた」と言ったニュアンスの台詞。
つまり帆高は大きな流れに背いています。彼はしてはいけないことをしました。帆高が陽菜を助けてしまったことで東京の街は水浸しになり、地図が変化してしまいました。

⑥落下の際、帆高の手首につけられた手錠が証拠

これは冒頭でも書きましたのでさらっといきます。強い気持ちを込めて鳥居をくぐった帆高は空の上へ飛び、雨の魚が飛び交う雲の上で陽菜と再会しました。非常に素晴らしいシーンだったため私はここで死ぬほど泣きました。話を戻します。この時彼の手首には警察からかけられた手錠がかけっぱなしだったんです。

これが残っていると言うことは新海監督がわざと「帆高は罪深いことをした」と言うことを示そうとしているということだと思います。

長くなってしまったので前半部分はここまでとします。


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