【天気の子】帆高は持っていて、須賀はもう持っていないもの【※ネタバレあり感想2 閲覧注意】

前回記事↓

 

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⑦世界か彼女か選べない

よくある話です。これだけ言えば王道ですね。新海監督は「王道」に新たな切り口を開くことが非常にうまい方だと思います。

この言葉は連載中の漫画のタイトルにもあるくらいです。
「世界か彼女か選べない」

 

世界か彼女か選べない(1) (講談社コミックス)

世界か彼女か選べない(1) (講談社コミックス)

 

 

この場合「選ぶ側」は大抵男の子でして、

「女の子を選ぶ」場合→世界滅亡
「世界を選ぶ」場合 →女の子は生贄

という形になる場合がほとんどです。

そしてこの構造は君の名は。」にはなかった構造になります。

前回の記事でも書いたのですが、この二つの作品には以下のような相違点があります。

君の名は。
W主人公。瀧と三葉、二人が力を合わせて世界(糸守)を救う
「天気の子」
主人公は帆高。陽菜はヒロイン。
世界(東京)のために生贄となったヒロイン(陽菜)をヒーロー(帆高)が救う

そして話の展開的に、帆高は迷わず世界でなく彼女をとります。

この辺りが「天気の子」がより男性に支持されている要因なのではないでしょうか。。。?(あくまでも私の体感ですが)

⑧帆高は持っていて、須賀はもう持っていないもの

須賀さんを覚えていますでしょうか?
怪しげなオカルト記事を書いていた編プロの男性です。編集プロダクションといえばブラック中のブラックとして有名な業界ですよね。ここでも新海誠監督は東京もしくは日本の闇を映し出していますね。

簡単に言うと二人の違いは以下の点です。

帆高:好きな人に会うためになりふり構わず行動できる
須賀:好きな人に会いたくても会いに行けない

警察に追われても捕まっても陽菜がどこにいるのかわからない状況でも帆高はこの世の全てに背いてでも陽菜に会いに行くため行動できる少年として描かれていたように思います。

タイトルで「須賀はもう持っていないもの」と書いたのは、
須賀はそれを昔持っていたと思うからです。

須賀の結婚は大恋愛からの駆け落ちです。須賀もかつては帆高のように好きな人のためなら世界を捨てられたし、世間に背くことができたし、なりふり構わず行動できたのだと思います。

しかしこれは誰もが共感できることだし数多くの映画やら小説やらでも多く取り上げられるテーマだと思うのですが、大人になるにつれてなりふり構ってなんかいられなくなります。

仕方ないことだし、それがある種の「大人になる」ということだと思います。須賀も実際なりふり構わなかった結果ある意味失敗し、好きな時に娘に会いに行けない現状・娘と一緒に暮らせない現状があります。

それでも最後に須賀が、警察が止める中ビルの屋上の鳥居へ向かう帆高に助力したのは、共感からではないでしょうか。つまり、昔の自分と帆高を重ねたのではないでしょうか。個人的にはあそこはかなりグッとくるシーンでした。

タイトルに、「帆高は持っていて、須賀はもう持っていないもの」と書きました。しかし私はその「もの」がなんなのか、自分で言っておきながらいまいち明言することができません。
「若さ」なのか、「無邪気」なのか「無鉄砲」なのか…。

⑨「ヒーローである」自覚の有無とそれに伴う犠牲について

これは君の名は。との比較です。

そもそも天気の子のキャッチコピーは「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」です。つまり、帆高には世界を救った自覚があるのです。これは君の名は。とは異なる点の一つに挙げられると思います。

君の名は。
瀧も三葉も糸守の救出に関わった記憶がない
(二人の入れ替わり能力は記憶は消えてしまうが感情は残るというもの)
天気の子
帆高と陽菜は自分たちが世界の秘密(東京の半水没)に関わった記憶がある

その代わり帆高にはまるで「犠牲」のようなものが課せられます。簡単に言うと、高校3年間「保護観察対象」になったことです。

 

⑩人間は自然に逆らえない

ここはさらっといきます。最後の瀧くんの祖母の話です。

私の記憶の限りで彼女のセリフを要約(意訳?)してみますと、

「ちょっとやそっとの気象の変化でギャーギャー騒ぐな。受け入れろ。人間は自然に敵わない」

的な台詞でした。これが全てですよね。君の名は。にはこのような「監督が伝えたいメッセージ」的なものを私はあまり感じなかったので、非常に印象的でした。

⑪世界か彼女なら、彼女を選んでいいんだ

ということを、言われているように思えました。かつてはみんな持っていた気持ちなんだから。世間体とか周りの期待とか将来とか世界とかそんなものより好きな人を選ぼうよって言われている気がしました。瀧くんのおばあちゃんが天候の変化を肯定してましたからね。あれで帆高に対する裁定が下されたように思います。

以上、「天気の子」に対する感想・考察でした!長かったです。
私は君の名は。を劇場に5回見に行くレベルであの映画が好きでした。今後も世間の皆様と同じく新海監督の作品に注目していこうと思います。

ないとは思うのですがこの記事の剽窃・コピペ等はご遠慮願います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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